籠神社 日本創生の秘密をにぎる元伊勢神宮

ユダヤの三種の神器というのをご存知でしょうか?契約の石板,アロンの杖,マナの壺の三種類をさしますが、日ユ同祖論ではユダヤと日本の共通点として、日本の三種の神器とユダヤの三種の神器が取り上げられることがあります。

そのユダヤ三種の神器のひとつ、「マナの壺」は飛鳥昭雄氏の著書「神一厘の仕組みとユダヤ予言」で、籠神社の奥宮「真名井神社」でご神体となっていると書かれています。

さて、この籠神社と真名井神社というのはどのようなところなのでしょうか?京都の天橋立付近にあるようなので行ってまいりました。

●籠(この)神社とは?

籠神社

京都府宮津市にある神社で、日本三景のひとつ天橋立の北にあります。

籠という字は「かご」と呼んでしまうのですが、古代の読み方で「この」と読みます。

丹後の国一宮となっており、地域で最も格式の高い神社となっています。実は天橋立自体も籠神社の参道なんです。

主祭神は「彦火明命(ヒコホアカノミコト)」。この神様は、籠神社の社家「海部氏」の祖神ですが、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)とも呼ばれており、これは物部氏の祖神でもあります。また、下賀茂神社の主祭神「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」とも同一であるそうです。

配神に豊受大神,天照大神,海神,天水分神があります。

正式名称「元伊勢籠神社」といい、天照大神が伊勢へ移動する直前にいた神社がこの神社なんです。

天照大神は古代移動を繰り返したので、各地に元伊勢といわれる神社は複数あるのですが、籠神社はその中でも最も格の高い神社となります。

その理由は天照大神が大和の笠縫邑を出て最初に鎮座した場所であること、伊勢神宮外宮の「豊受大神」がもともとは、籠神社の奥宮「真名井神社」の祭神であったためでしょう。

古墳時代、雄略天皇の代に外宮に祭神を移動し、そのかわりに彦火明命が主祭神となりました。

さきほども、名前が出てきた社家の海部氏ですが、彦火明命から続く日本最古の家系図を所持しています。また、発掘品ではない2000年前の後漢と前漢の2枚の銅鏡が伝えられています。

これらは、非常に興味深いものですが、一般公開はされていないのが残念ですね。

元伊勢神宮であることから、強力なパワースポットとしても知られています。

●鳥居

主な鳥居は車道側の一の鳥居と神門前の二の鳥居があります。一の鳥居は石造り,二の鳥居は木製で、いずれも、伊勢神宮と同様の神明鳥居が採用されています。

神明鳥居は明神鳥居と比べ古いタイプの鳥居となり、古い神社に多く見られます。

籠神社/鳥居

●神門

神門をくぐれば、拝殿へ行くことができますが、この中からは撮影禁止です。建物内部が撮影禁止というのはよくありますが、境内から撮影できないという寺社は珍しいですね。

籠神社/神門

●拝殿~本殿

多くの神社と同様に拝殿からは一般参拝客は入ることができません。拝殿前から本殿を拝むことになります。

本殿は伊勢神宮本殿と同様に唯一神明造となっています。他の神社にも唯一神明造の建物はいくつかありますが、籠神社の物が最も伊勢神宮に近い造りだそうです。

高欄上の五色座玉はここと伊勢神宮のみにしかないということで、この神社の格式の高さがうかがえますね。

元伊勢の神社であることを強く感じさせますね。

籠神社/本殿

※本殿の写真は拾いものです

●倭宿禰命(やまとすくねのみこと)像

裏参道側入口付近にある神像。亀に乗って神武天皇を案内する姿を現しています。像は境内にあるのですが、撮影は撮影可能エリアである参道側から行っています。

古代では亀に乗る姿はよく見られ、古代に飛来したUFOが亀に見えたため表現したものという人もいます。

籠神社/神像

●御朱印

拝殿隣の授与所にていただけます。

籠神社だけのものと、真名井神社と合同になっているものの2種類あります。真名井神社のみの御朱印は無いそうなので、欲しければ合同のものをいただく必要があります。

値段はそれぞれ異なり、通常の物は300円,合同は500円となっています。

●傘松公園

籠神社の北側には傘松公園があります。

この公園は名前こそ公園ですが、実際は山で、展望所では、天橋立が一望できます。また、有名な「股覗き」や「かわらけ投げ」が楽しめます。

登るにはケーブルカーかリフトを使用します。ステーションは神社の西側から行くことができます。

※ケーブルカーの時刻はこちらを参照してください。リフトは9時~16時までの運行です。

写真は公園のまた除きスポットから天橋立を撮影したものです。

天橋立

★冠島・沓島

冠島遥拝所

冠島と沓島は舞鶴市成生岬の北北西方、約10キロメートル沖の日本海にある小さな無人島です。

笠松公園内にある、「冠島・沓島遥拝所」からその姿を見ることができるのですが、興味深いのは案内板にこの島が籠神社のもうひとつの奥宮であるとかかれていることです。

この島は希少種のオオミズキドリの生息地であるということで上陸禁止となっており、奥宮の様子を見ることは残念ながらできません。ただ、一部の地元民は年に数回上陸ができるそうです。

調べてみると、実はこの島はもともとは大きな島であったようです。701年に丹後で起こった大宝地震で山頂部を残し海に沈んだことが、「丹後風土記残欠」には記録されています。

籠神社が今の場所に創建されたのは地震の後なので何か関連があるかもしれませんね。

この島周囲の海底からは人工的な階段を持った石造構造物が発見されています。これは弥生時代のものと考えられています。

冠島の海底遺跡

その時代に高度な文明があった可能性があります。また、籠神社はその文明とかかわっていた可能性もありますね。

●終わりに

今回は籠神社とその離れた奥宮という「冠島・沓島」について書いてきました。

古代にはここが伊勢神宮であったということで、かなりの由緒のある神社なのですが、さらに冠島の海底構造物のことからさらに大きな謎があるような気がしますね。

公式の奥宮であるとともに、マナの壺がご神体たと本に書かれていた真名井神社にも足を運んでいますので、次回そのことを記事にしたいと思います。

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