元興寺・極楽坊のみどころ 平城京へ移転した飛鳥寺

興福寺の南側、奈良町というところに元興寺というお寺があります。近隣にある、東大寺や興福寺に比べて大変小規模なお寺ですが、このお寺に私は大変興味を持っていました。

というのも、元興寺というお寺は、あの日本最初の本格的寺院である法興寺こと「飛鳥寺」の平城京へ移転した姿だからです。要するに本来はこちらが本当の飛鳥寺なわけです。

ずっと興味はあったのですが、東大寺や興福寺からはそこそこ離れており、なかなかついでに立ち寄るというのはできませんでしたが、今回は思い切って休日に元興寺へ行くことに決めました。

さて、元興寺というお寺は実は2つあります。「元興寺・極楽坊」と「元興寺」です。単に元興寺というと極楽坊をさし、ただ単に元興寺と名乗っている方は実は五重塔跡があるお寺なのです。そして、実はもう一つ小塔院という非常に小さな寺院があるのですが、そちらももともとは元興寺の一部でした。

今回、3つ全てをまわったのですが、今回は元興寺のメインである極楽坊について書いていこうと思います。

●東門

Gango-ji/Higashi-mon

現在の元興寺の正門。もともとは東大寺西南院にあった門で、鎌倉時代の建築です。極楽坊の正門として1411年移築されました。

この門の横に受付があります。正面は単純に受付ですが、裏口は御朱印所になっています。御朱印は2種類あり、本尊「智光曼荼羅」と「薬師如来」があり、選ぶことができます。

今回、御朱印をお願いすると、元興寺オリジナルの便箋がもらえました。絵葉書などもここで購入可能です。

●極楽坊本堂(極楽堂,曼荼羅堂)

Gango-ji/Gokurakubo

もとは元興寺の僧房の東側の一部。僧房とは、僧侶が生活を送る居住のための建物ですが、浄土六祖の一人目である、智光法師の住んでいた建物がこの極楽房です。

智光法師の発願した、「智光曼荼羅」を本尊とし、現在の元興寺の中心となる本堂となっています。

この智光曼荼羅は極楽房の内部で鮮やかなものが見られますが、これはレプリカです。本物は総合収蔵庫にあります。

極楽房の外観は1244年改修時のものですが、中心の本尊周辺の太い角柱や天井材木は奈良時代僧房のものが残っています。その周囲をもっと新しい時代の畳で囲んでおり、歩いた感覚は禅宗系の古い方丈を歩く感じと似ています。

屋根瓦には奈良時代のものや改築時の鎌倉時代のものが多くありますが、飛鳥寺から転用された瓦も多数あります。その瓦の特徴は赤っぽく見え、ガタガタに見えるということです。写真は撮りそこなったのですが、極楽房だと西側の屋根にみられます。

後に書きますが、禅室の屋根にも見ることができます。

●禅室

Gango-ji/Zenshitu

こちらも、もともとは奈良時代の僧房東側の一部であり、極楽房とはひとつの建物でした。鎌倉時代の改修時に切り離され禅室となりました。

もとは禅室と同じ建物であるのでこちらにも奈良時代の古材が一部使用されていますが、中には582年伐採の樹木が使われているという調査結果があるらしく法隆寺西院伽藍より古くなり日本最古の材木であるようです。

飛鳥寺からの移転で持ってきた古材だったのでしょうか?

さて、内部ですがこの日は特別公開だということで中に入ることができました。

しかし、現代の芸術家が書いた書道作品が複数展示されている他は特に何もない建物です。作品が置いてあってもガランとした感じをうけました。

配属の職員の方は気さくな方で、しきりに観光客に声をかけておられ、説明もしておられました。

★行基瓦

Gango-ji/Gyoki-gawara

極楽房のところでも触れた行基瓦です。禅室にもあり、正面から見た時に西側に見えるため、極楽房よりもわかりやすい位置にあります。

写真は行基瓦の部分を拡大撮影したものですが、写真の通り赤っぽい色をしており、他の比べて荒い並べ方に見えます。形も奈良時代以降の瓦と違い、重なる部分に凹がなく、総重量が重くなります。

これが飛鳥寺からもってきた飛鳥時代の瓦なのです。

ちなみに行基瓦と名前がついていますが、飛鳥時代のものであることからわかるように、行基が発案したものではなく、元興寺移転当時の土木工事の第一人者が行基であったので、そのようなネーミングが行われたようです。

●元興寺講堂跡礎石

Gango-ji/kodo-soseki

創建当初の講堂では丈六の薬師如来像と脇侍2体,十二神将を安置していたようですが、現在では失われています。

平成10年に旧境内西側の中新屋町で礎石が発見されました。位置は本来の場所と異なっていますが、規模や出土場所から講堂に使用していたものとされています。

●元興寺総合収蔵庫

Gango-ji/syuzoko

元興寺の宝物館です。展示室は3階まであり、1階に国宝「五重小塔」や薬師如来像,聖徳太子像など仏像、2階に厨子入智光曼荼羅,極楽坊縁起絵巻などを展示していました。

さまざまな文化財が収蔵されていますが、ここでの目玉は国宝の五重小塔と智光曼荼羅ですね。

★五重小塔

Gango-ji/Gjyunosyoto

5.5mの小塔。ただし、模型ではなく内部構造まで丁寧に造られているため、建築物扱いで国宝登録されています。

奈良時代後期の作品で、奈良時代の塔の構造を伝える資料となっています。(薬師寺東塔も奈良時代のものであるが、後世に改造を受けている)

もともとは元興寺小塔院にあったものが極楽堂に移されたものです。

写真で見ると小さく見えるのですが、実際に収蔵庫で見るとなかなか大きく2階まで達するほどです。1階からは屋根の様子はわかりませんが、2階から見下ろせば屋根がよく見えます。奈良時代オリジナルの五重塔の特徴は屋根がなだらかになっていることです。

塔の屋根がなだらかだと瓦の重みや雪の重みでだんだん歪んでくるようで、奈良時代の塔でも後世に改造を受けて勾配が急になっています。しかし、この塔は歪むほどサイズが大きくないのとずっと屋内設置だったので雪の心配もいらず奈良時代のままの姿をしています。

★厨子入り智光曼荼羅

Gango-ji/Chiko-mandara

元興寺極楽坊の本尊。阿弥陀三尊と極楽の様子が描かれています。智光法師が描かせた奈良時代のオリジナルは1451年の土一揆で焼失し、現在のものは1497年に再興されたものです。

元興寺は平安時代中期には荒れ果て衰退していましたが、智光曼荼羅を本尊として末法思想や阿弥陀信仰の流行の波に乗り、極楽坊を僧坊から切り離し改造、元興寺とは別の寺として発展していきました。

★聖徳太子像

Gango-ji/Syotokutaishi-age16  Gango-ji/Syotokutaishi-age2

元興寺の前身である飛鳥寺は創建に聖徳太子がかかわったといわれています。鎌倉時代には聖徳太子信仰が流行しましたが、それにのってか元興寺でも太子堂を飛鳥寺から移築したということが、元興寺縁起絵巻には書かれています。

太子堂は明治には消失していましたが、元興寺収蔵庫には2歳像と16歳像があり、これが太子堂で祀られていたのでしょうか?

●元興寺とは?

元興寺とは、日本最初の本格的仏教寺院「法興寺(飛鳥寺)」が718年に平城京へ移転してできた寺院です。当初の宗派は法相宗と三論宗の兼学の寺。

南都七大寺のひとつに数えられ、奈良町のほぼ全域におよぶ広大な敷地を持っていました。平城京でも他の寺への指導的立場だったのですが、平安中期ごろには衰退しており、境内は荒れ果てていました。

鎌倉時代に僧坊を改造し、奈良時代に描かれた智光曼荼羅を本尊とする極楽坊を中心とした当時流行の浄土教の寺として復活を遂げました。

1451年の土一揆で金堂他主要伽藍が焼失し、金堂は再建されますがすぐに台風で倒壊、以後再建されることはなく、金堂跡に住宅が建ったりしたため、元興寺は極楽坊,小塔院,東塔院の3つに分裂することになりました。

現在、元興寺極楽坊は西大寺の末寺となり真言律宗の寺院となっています。

スポンサーリンク
スポンサー