即成院のみどころ ~那須与一が没した寺~

那須与一をご存知でしょうか?那須与一は源平の戦いで重要な合戦となった「屋島の合戦」で戦功をあげた人物です。平家側のあげた扇の的を射落とした逸話で有名ですね。

ただ、この戦いの後にどうなったかはあまり知られていません。

源平の戦いが終わった後、武道の道を捨て即成院の庵で源平の戦いの戦死者の魂を弔う信仰の日々を送りました。そうして、34歳の短い生涯をここで遂げたのでした。

即成院は当時は京都伏見にあったのですが、与一が源平の戦いのさなか病気で倒れ療養していた寺院であり、このあとに屋島の戦いの神徳があったので、強く信仰していた寺院だったといいます。

なんでも、扇の的の逸話で、平家物語には「南無八幡大菩薩、我が国の明神、日航権現・・・」など日本中の神々に祈りをささげながら射たとされていますが、実際は即成院の本尊・阿弥陀如来に祈りを捧げていたともいいます。

那須与一が信仰した即成院とはどのようなところなのでしょうか?

●平等院の後継「即成院」

Sokujyoin/Sanmon

即成院は光明院という平安時代に伏見にあったお寺が始まりです。この名前は即成院の山号「光明山」として残っています。

平等院を建てた藤原頼道の息子「橘俊綱」が光明院を伏見桃山の山荘へ阿弥陀堂として移設し、父親の頼道と同様に極楽往生を願いました。

このように元々は伏見にあったのですが、明治時代に移転し東山の泉涌寺の塔頭になっています。

泉涌寺の参道である泉涌寺道の門をくぐる直前にある小さなお寺で、見た目は他の小寺院と大きく変わりがなく見逃しがちになります。ただ、門の屋根に小さな鳳凰の飾りがあるのが特徴です。

境内は本堂と僧坊のようなもの,与一の供養塔(墓)という構成になっています。僧坊のようなんものは職員の生活スペースなので入れません。

●本堂

Sokujyoin/Hondo

本尊・阿弥陀如来坐像と25体の菩薩像が安置されているお堂です。一般拝観スペースと特別拝観スペースに分かれており、特別拝観スペースに本尊や菩薩像が安置されています。

特別拝観スペースへは500円を支払うことで入ることが可能です。また、ここでは御朱印も受け付けています。御朱印は本尊と本尊が入る建物の二種類あります。

★阿弥陀如来坐像・二十五菩薩像

Sokujyoin/Amida

即成院で最大のみどころといえるのがこの阿弥陀如来坐像と取り巻きの25体の菩薩像です。

これらは平安時代の1087年に作られ、定朝とその弟子によって作られたとされています。定朝は平等院の阿弥陀如来像も手掛けたこの時代の名仏師です。

那須与一が戦功祈願した阿弥陀如来はこの阿弥陀如来像だったのでしょう。

阿弥陀如来の高さは5.5m。取り巻きの菩薩像も1.5mある大きなものです。

25体の菩薩といっていますが、実は26体あります。菩薩は阿弥陀如来の脇侍の2体と他24体で構成されていますが、23体は楽器を持っています。これは阿弥陀如来がやってきたとき、ほかの菩薩が楽器を演奏しながらやってくるというのを表しているのですが、1体のみまったく関係のない「如意輪観音像」が混じっています。

元は25体だったのが何らかの事情で1体加わったのでしょう。

楽器を演奏する菩薩というのは平等院の「雲中供養菩薩」を連想させますね。楽器を演奏する菩薩をイメージし雅楽がスピーカーから流されており雰囲気が出ています。

●那須与一の墓「供養塔」

Sokujyoin/Kuyo-to

即成院は那須与一が没した寺であり、その墓も供養塔としてあります。

供養塔へは本堂を通ってしか行けず、特別拝観エリアとなっています。本堂から供養塔へは回廊でつながっています。

平安時代末期に作られたとされている石造りの宝塔で3mの高さがあります。「願いを的に」という言葉をキャッチコピーにしており、願望祈願によいでしょう。

即成院では与一の扇の的にちなんで武功を願う人が扇子を供養塔へ奉納するようになりました。「願い扇」はその流れをくんでいるもので、願いを書き奉納されます。

●あとがき

即成院は泉涌寺の塔頭ではありますが、泉涌寺とは関係を感じさせない独立した魅力を持ったお寺です。

小さいお寺なので見逃しがちですが、見逃すのにはもったいないものがあります。特に関連性がある平等院が好きな方にはぜひ行ってもらいたいお寺ですね。

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