下賀茂神社と対になる神社に上賀茂神社という神社があります。
ここは以前、親戚が結婚式を挙げた神社で、結婚式を挙げるのに有名な神社であるようです。この時は私も参列させていただき、思い入れの強い神社となっています。記事中でもそのことを少し織り交ぜながら書いていきますね。
上賀茂神社は下賀茂神社と同様に京都では最も古い神社にあたります。規模は下賀茂神社よりも小さいのですが、こちらは市街地に無いので観光客も少なく落ち着いた雰囲気の境内となっています。
下賀茂神社と対になるといっても、建物の並びや種類は違う部分が多くみられます。
下賀茂神社と同様に境内全域が世界文化遺産となっており、主に江戸時代再建の重要文化財が41棟,国宝2棟あり、それらがみどころとなっています。
国宝2棟以外の重要文化財の多くは1628年の式年遷宮で建て替えられたもので、以後の式年遷宮では修繕のみが行われてきました。
御祭神は「賀茂別雷神大神(かもわけいかづちのおおかみ)」であり、天津神と下賀茂神社の祭神のひとり「玉依姫」の息子です。
この神様は厄除け,方除,災難除け,八方除,開運,必勝に御神徳があるとされています。また、名前に雷がつくことから電気関係の仕事につくひとにも信仰を集めています。
願掛けでの参拝であればこのあたりであろうとは思いますが、実は境内の摂社には玉依姫を祀ったものもあり、恋愛関係でも神徳のある神社となっています。
上賀茂神社は祭神の名前から正式名称「賀茂別雷神社」といいます。
●由緒
京都の郷土史が書かれている山城国風土記では、賀茂神社創建の話があります。
玉依姫が御手洗川で流れてきた矢を拾い、寝室に一晩置いたところ、処女懐妊し男児を出産しました。
男児が3歳の時、祝いの席が開かれましたが、その席で父親を天津神だと言って天へ昇天していしまいました。これが賀茂別雷大神となりました。
年月が経ち、息子に会いたいと玉依姫が願ったところ、葵を飾り祭りを行うようにと神託を受け、神山に成人した姿で降臨し、再開が果たされました。
このことから、神山をご神体とし賀茂神社が創建されたといいます。
奈良時代にはすでに朝廷からの重要視される神社となっていましたが、平安京に遷都されると、王城鎮護の神社として正一位という最高位の地位を与えられました。
伊勢神宮の斎宮にならって齋院がおかれました。これは天皇の皇女を巫女として賀茂神社に奉仕させるというものです。
★葵祭(賀茂祭)
賀茂神社といえば「葵祭り」でしょう。
上賀茂神社と下賀茂神社共通のお祭りで、もともとは賀茂氏が行っていた五穀豊穣のお祭り。飛鳥時代の556年ころにはすでに大きなお祭りであった記録があり、平安時代には国家祭事となりました。
王朝文化の伝統が残っている貴重な祭りであり、平安時代の装束に身を包んだ人々が京都御所から下賀茂神社を経て上賀茂神社までの計8kmを行列して歩きます。
このうち、斎王役は祭りのヒロインであり、数千万円を負担できる良家の令嬢から選ばれます。
●外幣殿(げへいでん)
鳥居から境内へ入って一番最初に見られる建物です。重要文化財。
上皇や法王,女院の行幸(外出)に使用されていました。現在では葵祭りなどに使用されているようです。
●奈良の小川
古くは神職が身を清めていた境内に流れる小川。百人一首にもこの様子が読まれた句があります。
奈良というのは樹木の楢のことで、同様の名前の小川が下賀茂神社にもあります。
また、ここには参拝者の取水場がありますが、川に取水場が設けられているのは下賀茂神社と同様です。
●細殿・立砂
古くは天皇や斎王など高貴な身分の人が神社へ到着し、装束を整える場所として使用されました。重要文化財。
私が行った時は本殿だったので違ったのですが、結婚式でもよく使用されるようです。
建物の前にある立砂は神山を象徴としたもので、神を迎える原型とだといわれています。頂に松の葉を立て二つの立砂が陰陽一対になっています。
この立砂は鬼門や裏鬼門にまく「清めの砂」の起源であるようです。ちなみにこの立砂は下賀茂神社には無く、上賀茂神社のみにあります。
●舞殿(橋殿)
舞殿はかつて勅使が礼拝をおこなった建物です。奈良の小川の起点に橋のようにまたいで建てられていることから橋殿とも呼ばれています。この建物は1863年の建て替えです。重要文化財。
●土舎
●楽舎
神仏習合時代という神社内において神道と仏教が混在していた時代に仏教側の僧が使用していた建物です。重要文化財。
楽舎では現在、本殿の模型が飾られています。模型といっても本殿の全容は特別拝観でも見ることができないため唯一全容がわかるところとなっています。
●片岡社
楼門の直前にあり、上賀茂神社の第一摂社。祭神は「玉依姫」であり、賀茂別雷大神の母親です。
その性質上、恋愛や子宝に御神徳があるとされ女性にパワースポットとして人気があります。源氏物語の作者である紫式部もこの神社へかよったそうです。
結婚式ではその御神徳から摂社では唯一おまいりがあります。
●楼門・玉橋
楼門は左右に回廊を持つ二階建ての門です。ここを抜けると本殿・権殿につながる高倉殿があります。
楼門の手前にある朱塗りの橋は玉橋といい、神事で神官が使用する以外はしめ縄がされており通れなくなっています。ただし、結婚式ではこの橋を渡っていた記憶があります。考えてみれば神前式も神事ですね。
●朱印受付,お札・お守り授与所
楼門を入って左手にあるのが授与所です。御朱印はここでのみいただけます。
お札やお守りの販売もしていますが、特別拝観申し込みもここで行います。
●国宝・本殿特別参拝とご神宝の拝観
国宝である「本殿」と「権殿」は普段は参拝者の見れない場所です。しかし、特別参拝に申し込めば見ることが可能になります。特別参拝では本殿や権殿のほかに、上賀茂神社に伝わる宝物を拝観することができます。
特別拝観はお札授与所に大人であれば一人500円を支払い申し込みを行います。申し込みを行えば、浄掛がいただけるのでそれを首から掛け高倉殿へ向かいます。
■高倉殿
高倉殿は楼門を入って正面にある建物です。ここをはさんで本殿と権殿があります。この建物自体も重要文化財です。
特別参拝ではまずここ案内されます。特別参拝では神職が順に案内していく形式になり、ここから先は写真撮影できません。
高倉殿では最初に神職からの上賀茂神社の由緒について説明がありました。壁に掛けられた三枚の絵を使って賀茂別雷大神についての伝説を聞きます。
公式ホームページなどに載っている伝説はごく一部でありより詳しく聞くことができます。
説明が終われば禊の儀式に入ります。儀式といっても頭を上げ下げする程度で難しいものではないので安心してくださいね。
■本殿・権殿
儀式が終われば、いよいよ主祭神がおられる本殿と権殿の前へ通されます。
両方とも国宝であり、1863年の建て替えです。以降は国宝指定となっているため建て替えできず修理のみとなっています。
本殿と権殿の説明のあと、神社の形式にのっとり参拝を行います。
本殿と権殿は銀色の狛犬が印象的でまったく同じ姿をしています。なんでも神様は普段は本殿にいますが、遷宮中(修理中)は権殿に引っ越されるということです。
ちなみに親戚の結婚式は本殿前で行われましたが、本殿で行わない結婚式でも本殿参拝は行うようです。
■神宝拝観
本殿参拝が終わったら上賀茂神社の宝物拝観へ案内されます。
私が参拝したときは倉木麻衣など有名芸能人の名前が入った檜皮が並べられてるのが目立つなどそれほどみどころになる宝物はなかったのですが、内容は企画によって変わるので驚くようなものが出てくることもあるのかもしれませんね。
♦おわりに
上賀茂神社へは親戚の結婚式以来になりますが、下賀茂神社と比べてもとても神聖な雰囲気の境内に感じました。
後で調べたのですが、下賀茂神社というのは上賀茂神社が分離してできた可能性があるようです。ということは、こちらが本家ということで神の力がより強いのかもしれませんね。
神社の特別参拝というのは今回初めて参加しました。神職の説明を受けながらということで一対一だとどうしようと思いながら他の神社だとなかなか参加できませんでしたが、今回は一人ではなかったので参加する勇気が持てました。
自由は行動はできませんが、通常の参拝では入れない場所へ立ち入れるというのはいいものです。みなさんも行く機会があれば、ぜひ体験してみてくださいね。
下賀茂神社についても記事を書いていますのでよかったら読んでみてくださいね。