北野天満宮 宝刀展・刀剣乱舞「髭切」公開中

今年の北野天満宮では梅苑の公開と合わせて1月23日より3月下旬まで宝物殿にて宝刀展というのが開催されています。

1月初頭に来た時から広告が境内に張り出されており、名刀「鬼切丸」も出展されるということで関心がありました。

今回、梅苑が満開ということでいっしょに見れるということで参拝にまいりました。

●チケット購入

チケットの購入は宝物殿でもできますが、梅苑との共通チケットであれば梅苑入り口でも購入可能です。入場料は300円。梅苑入場券と一緒に買えば合計50円引きとなります。

●宝物殿

北野天満宮・宝物殿②

北野天満宮の貴重な神宝類や奉納品が収蔵されている場所です。通常は公開していませんが、毎月25日の例祭の際には公開されます。

今回は「宝刀展」開催中ということで特別公開されています。今回の期間中は刀メインということで、国宝「北野天神縁起絵巻」など普段公開しているものは非公開となっています。

宝物殿の前には見慣れないアニメのキャラクターが置かれていました。

後で調べたのですが、このキャラクターは刀剣乱舞の新キャラクター「髭切」という人物らしいです。髭切は今回の目玉である「鬼切丸」の別名です。刀剣乱舞は女性に人気があり日本刀ブームとなっているようですが、その登場人物のもとになった刀が展示されてるとなれば大変な女性ファンの来場がありそうですね。

刀剣乱舞「髭切」

●宝物殿の中は?

宝刀展

宝物殿入り口でチケットを渡して入ります。博物館系では珍しく靴を脱いで入る形式です。

受付では驚くべきことを言ってきました。それは・・・

「カメラやビデオカメラでの撮影は駄目ですが、携帯での撮影はOKです」

なんと!数々の刀がスマホで取り放題ということですか!こんなことを聞いたのは博物館系では初めてです。大抵「撮影禁止」と書かれているのですが、太っ腹ですね。

考えてみれば刀は御神体ではありませんし、信仰の対象でもありません。仏像などとは違い完全に物なのでOKということですかね。

スマホはデジカメを上回るような解像度があるので照明がついてる屋内の撮影に関しては不都合はありません。フラッシュが無い分だけ文化財が痛む心配もないということでしょうか。

中ではショーケースの中に35振りからなる刀や脇差,短刀が並んでいます。どれもしっかり整備されており、美しいものばかりです。奉納品ということで、北野天満宮が創建された時代以降には珍しい直刀や剣なども展示されています。

また、刀以外でも鎧や兜の展示も少数ですがありました。

展示されていた刀剣の中で重要文化財のものや珍しものを紹介しようと思います。

●太刀「鬼切丸(髭切)」

鬼切丸(髭切)

重要文化財指定されており、今回の展示の目玉となる刀です。目玉らしく入り口すぐに展示されています。

刀剣乱舞にキャラクター「髭切」が新登場し、刀剣女子からも注目されています。そのせいか宝物殿の来場客はほとんどが若い女性でした。文化財の展示会でこのような光景は今まで見たことがなかったので驚きです。

まわりは常に人だかりができており、大変な人気でした。

その髭切ですが、もとは安綱という銘の平安時代後期の太刀であり、罪人を試し切りした際に髭まで切れたので「髭切」というニックネームになりました。

源頼光の配下である渡辺綱という人物が京の一条戻り橋にて鬼女の腕を切り落としたという伝説が残っており、そこで使われた刀がこの髭切であるそうです。そこから「鬼切丸」という名前に改名されたといわれています。

ちなみにこの鬼女は「牛の刻参り」の元になった「宇治の橋姫」であり貴船神社で鬼女となる方法を伝授され宇治で鬼女となった伝説の人物です。

鬼切丸はもともとは源頼光の所有であり、渡辺綱へ貸し出したものでありました。代々、獅子ノ子や友切など名前を変え源氏に伝わっていきましたが、義朝の時代の源氏は戦で敗戦続き、そんな時八幡大菩薩のお告げで名を「髭切」へ戻したところ、頼朝の時代になって源平の合戦で勝利。以後は源氏の宝刀となり、鎌倉幕府成立後には洛中の神社で大切に奉られていました。

鎌倉幕府滅亡後は新田義貞の手に渡りますが、新田義貞が自害した後は「斯波高経」の手に渡り、最上氏を経て大正時代に北野天満宮に奉納されました。

鬼切丸は銘を「安綱」ということは前に書いた通りなのですが、現在は「国綱」という銘に改銘されています。その理由は不明ですが、国綱の名物「鬼丸国綱」の影響があったのではないかと言われています。

ちなみに安綱は天下五剣の一つ「童子切安綱」を作った刀匠でもあります。

●太刀「助守」

助守

加賀藩13代当主「前田 斉泰」が江戸時代末期に奉納した刀で重要文化財指定。

助守という銘は古備前派と一文字派に同銘があるということですが、この2派は作風が似通っているとのことでどちらであるかは断定が難しいそうですが、この太刀は作風や太刀姿が古調であり鎌倉時代の一文字派だと鑑定されているそうです。

なお拵えは江戸時代のもの。

●太刀「備州長船師光」

備州長船師光

加賀藩8代当主「前田 重煕」が奉納した太刀です。室町時代前期の太刀で重要文化財指定

長船派は室町時代前期に最も多くの刀剣を制作した一派で名匠を多く輩出しておりそのうちの一振り。

拵えは江戸時代のものですが、奉納時に新調されたとされています。

●太刀「恒次」

恒次

加賀藩主「前田 綱紀」が元禄15年の800年祭に際して奉納したもの。

前田家は先祖が菅原氏であったとされており北野天満宮への崇敬が強く、この奉納以後、50年ごとに太刀を奉納する習いとなっていました。

恒次は鎌倉時代の刀匠で後鳥羽上皇の番鍛冶のひとり。天下五剣のひとつ「数珠丸恒次」の作者でもあります。

●刀「千時 信濃守国広造」

千時

1607年、北野天満宮本殿造営に際し豊臣秀頼が奉納した刀。

国広は新刀期の一大勢力である堀川派の祖となる刀匠。新撰組・土方歳三が国広の脇差を使っていた他、TVドラマ「三匹が切る」の矢坂平四郎の愛刀ともなっています。

●分厚い脇差「松平姓源定長」

分厚い脇差

江戸時代中期の脇差ですが、とにかく際立って分厚く見るからに重量のある異色の脇差なので掲載することにしました。

松平定長というのは松山藩3代藩主であり、自ら作刀し北野天満宮へ奉納したものと考えられています。

●鋒両刃造太刀「月山貞勝謹作」

小烏丸造太刀

小烏丸という刀がかつては平家の家宝でありました。明治時代に天皇に献上され、今は宮内庁委託にて国立文化財機構で保管されていますが、この刀は桓武天皇が伊勢神宮からの使いである大烏によってもたらされたという伝説があり、剣から刀への移行期の姿をしています。

この形は「鋒両刃造」とよばれ小烏丸造とも呼ばれます。

鋒両刃造は奈良時代~平安時代前期に見られるのですが、時々研究のためなどに打たれたりします。そのうちの一本がこの太刀となっています。

■あとがき

今回の宝刀展では35振りもの刀剣類が展示されており、ここでは重要文化財のものと興味を持ったものを紹介させていただきました。

すばらしい刀はまだまだあるので日本刀が好きという方は、ぜひ北野天満宮宝物殿へ足を運ぶことをお勧めします。

梅苑など他にも北野天満宮の記事があるのでよかったら覗いてみてくださいね。

北野天満宮 梅苑へ行ってきました

北野天満宮へ初詣

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