東大寺二月堂の謎

東大寺・二月堂

東大寺二月堂は大仏殿中門前から東へ進んだ丘陵地。この一帯は「上院」と呼ばれ、大仏殿建立以前からある金鐘寺などの東大寺前身寺院だったお堂が立ち並ぶ場所です。そこに二月堂もあります。

二月堂は奈良時代の創建なのですが、資料は残っておらず、建物自体の創建のいきさつはわかっていません。ただ、後述の修二会のいきさつにより、「生身の観音像」を祀るために建てたようです。

ただ、上院という場所柄、東大寺前身寺院のお堂であったと思われることと、修二会という行事が大仏建立に関わった高僧良弁の高弟である実忠が始めたことが言われています。

二月堂は丘陵地に作られ、床下に組んだ柱で建物を支える懸造となっています。これは京都の清水寺や滋賀の石山寺と同様に観音信仰の寺に見られる特徴です。

丘陵地に建っているため、お堂に行くには階段を登る必要があります。二月堂へ行く階段は南北にあり、北側は普段参拝客が使用する階段。南側は普段は使用せず修二会の「お水取り」で「若狭水」を汲みに行くときに使用する階段です。

お堂は修二会に特化しており、複雑な構造となっています。

入場料は無料で24時間開放となっています。お堂の近くに朱印所があり、二月堂の御朱印をもらうことができます。

●二月堂

東大寺二月堂・正面

上記のとおり、修二会でのみ使用するお堂であり、行事に特化しています。国宝。

修二会のみでしか入れず、普段は正面格子から内部の様子をうかがうしかありません。それでも内陣までは見えませんが・・・。

1667年まで奈良時代創建時の建物が残っていたようですが、火事で焼失し現在の建物は1669年に幕府の助成で再建されたものです。再建といっても、焼失以前の規模や形式を再現しており貴重な建物となっています。

建物は西側を向いており、内部構造は極めて複雑、中央に内陣があり、その西側を除く外側を外陣,さらにその外側に局と呼ばれる小部屋が設置されています。また、内陣西側には外陣が無く、礼堂があり、その外に局があります、その正面は吹き抜けになっています。

内陣の外端や外陣の外端は土間となっており砂利がじかれています。二月堂は創建当時は内陣のみの建物だったものが、そのまま増築されていき、現在の複雑な構造となってしまったようです。

修二会では局は参拝客が入る場所で、外陣は予約した男性のみ、内陣は儀式の場であり、参拝客は入れません。

内部構造に関しては複雑で言葉にしても分かりにくいので、わかりやすい図を拾ってきました。下に貼り付けておくので参照してみてくださいね。

二月堂内部

 ★十一面観音菩薩立像

十一面観音像は二月堂の本尊で内陣に安置、大きいものと小さいものの2体あります。

大きい方は「大観音」と呼ばれ、小さい方は「小観音」と呼ばれています。小観音は大観音の手前に普段安置されていますが、修二会の前半7日間は大観音の後方へ移動され、大観音が本尊となります。そして、後半7日間は再度大観音の前方へ移動し修二会後半の本尊となります。

2体とも絶対の秘仏であり、修二会を行う僧であっても見ることは出来ません。ただ、寺伝より金銅仏であると思われます。小観音は厨子に入れられており、移動させやすいようにするためか、神輿のような担ぎ棒がついており、実際に神輿と呼ばれています。

厨子は1667年の二月堂焼失後の作で、扉が無く開扉できない構造となってます。厨子には御正体として銅鏡が取り付けられています。この小観音像が「生身の観音像」にあたると言われています。

大観音の方は内陣奥に安置されていると思われますが、4基の宝塔の奥、分厚い帳の後ろにあるため、安置状況は不明です。

現在では2体とも絶対秘仏ですが、中世以前はそうではなかったらしく、仏画が残されています。大観音の仏画は小観音の仏画は東寺観智院蔵の「十一面抄」という図像集にみられます。写真中央の仏画が小観音図です。

十一面観音でこのようなタイプは日本では珍しく、インドのカーンヘリー石窟の第41窟に同様の立像があるようです。

二月堂・小観音画

また、大観音は高野山西南院所蔵の「覚禅抄・十一面の巻」の裏書に頭部のみの画が存在します。

大観音の銅製光背のみは東大寺ミュージアムで公開されています。これは1667年の火災で破損したもので、表面には複数の如来化仏や千手観音、神仙などを表しています。

高さは約2m27cmあります。

 ●閼伽井屋(あかいや)

閼伽井屋

修二会の「お水取り」で使用する「若狭水」が湧いている井戸「若狭井」を覆う幕屋です。二月堂の前にあります。若狭水は若狭国(福井県)の「遠敷(おにう)明神」が提供したと伝えられる。

一般人の立ち入りは不可。鎌倉時代の建物で重要文化財です。

●修二会

毎年3月の1日から14日まで行われ、752年に実忠和尚が始めた時より絶えることなく続いえいると言われており、その目的は本尊「十一面観音」に対し、自らの行いを懺悔し、国家の安定繁栄,万民の幸福を祈願するというものです。

二月堂縁起絵巻(1545年)に伝える寺伝によると、京都の笠置にある龍穴の奥に実忠は入って行ったが、都卒天の内院に通じていた。そこでは天人が生身の十一面観音に悔過(けか)の行法を行っていた。これを東大寺へ持ち帰ったのが、修二会だとされています。

悔過の行法には生身の十一面観音を祀る必要があり、100日間祈りをささげ、観音は来迎。人肌のように暖かい金銅製十一面観音菩薩を残したといいます。

行事は11人の僧によって行われ、この僧たちは「練行衆」と呼ばれています。

修二会は1日のうち、日中の時(13時ごろ),日没の時,初夜の時(19時ごろ),半夜の時,後夜の時,晨朝の時(深夜1時ごろ)の6回に分けられる。これを六時の行法といいます。

行法は悔過作法,祈願作法,呪禁作法にわかれ、「南無観音菩薩」と唱え続ける「法号」は懺悔作法に含まれます。

祈願作法と呪禁作法は初夜の時と後夜の時に懺悔作法の後に行われ、祈願作法のメインは過去帳に書かれた日本の神々の名前と二月堂ゆかりの人の名前を読み上げる行です。呪禁作法は密教系の行です。

修二会といえば、「おたいまつ」が有名であるが、これは日没の時の後に一度「練行衆」は引き上げ、再度「初夜の時」に登堂する際に松明に先導される。松明は舞台をめぐり舞台下の観衆に火の粉をまき散らすというものです。特に3月12日には籠松明という特大の松明11本が舞台から突き出され観光客で混雑します。

修二会にはこれらの作法にはあてはまらないものも存在します。

★達陀(だったん)

達陀とは、インド・サンスクリット語のtattaを漢語で音写した言葉です。焼くという意味ですが、仏教では「火による苦行」という意味で使われています。

八天役の練行衆が内陣正面へ走り出て太刀を振り回したり、錫杖や鈴を鳴らしたりし、クライマックスでは、火天役の練行衆が長さ3mの大松明を持って舞台を一周した後、礼堂に向けて投げ倒すという儀式です。

八天役は異国風の帽子をかぶっていますが、これはフェニキア帽(三角帽)に似ています。

フェニキア帽は中東地域の文化であり、ゾロアスター教地域と重なります。修二会は火が重要な役割をすることから、仏教にとりこまれたゾロアスター教の影響が残ってる行事といわれています。

★お水取り

お水取りは修二会の代名詞になっている儀式です。3月12日の後夜の時に行われ、閼伽井屋(若狭井)から香水を汲み上げ、十一面観音にささげる儀式です。

若狭井は若狭国(福井県)の遠敷(おにう)明神が湧かせたと言われており、福井県の神宮寺では二月堂へ水を送る儀式「お水送り」という儀式が存在します。この儀式も修二会と同様に火を使った儀式です。

ちなみに神宮寺は神仏混濁の寺院で、薬師如来なども祀っているのですが、本堂の内陣内に和加佐彦や和加佐比女を祀っています。この和加佐彦は遠敷明神と同一神です。

この若狭国についてですが、若狭という地名が朝鮮語の「ワカソ」がなまったものであるとか、遠敷はオニウと読むが、遠くへやるの意味の朝鮮語であるそうです。古代では朝鮮系渡来人が多く住む国だったのでしょうか?ちなみに実忠和尚の師匠である良弁和尚の故郷候補のひとつであるそうです。

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