広隆寺のみどころ 日本一美しい弥勒菩薩半跏思惟像 

弥勒菩薩半跏思惟像は私が最初に興味を持った仏像でした。

幼いころだったので理由は覚えていませんが、祖父の家に弥勒菩薩の写真がかかっていたからだと思います。

それだけに思い入れが深い仏像であります。

それが見れるのが京都太秦の広隆寺です。広隆寺は603年推古天皇の時代に創建された京都最古の寺院であり、古くは蜂岡寺,秦公寺,太秦寺と呼ばれていました。

秦河勝が聖徳太子より仏像を贈られ、それを本尊として寺を開いたのですが、この仏像が現存の弥勒菩薩であることが、広隆寺に残る記録から明らかになっています。

聖徳太子建立の日本7大寺のひとつです。

広隆寺は818年火災で焼失、弘法大師の弟子であり秦氏出身の道昌僧都によって再建されました。1150年にも火災にあい、現在の広隆寺はその後に復興したものです。

撮影に厳しいお寺であり、境内は動画撮影禁止、各お堂は正面からの写真撮影禁止です。

斜めからの撮影はOKです。

私も新霊宝館を正面撮影しようとしましたが係員に呼び止められました。(博物館の建物みたいなものなのでいいと思うのですが・・・)

●弥勒菩薩半跏思惟像

広隆寺といえば、この弥勒菩薩半跏思惟像ですね。日本で一番美しい仏像と言われていますが、実は広隆寺には弥勒菩薩半跏思惟像が2体あり、どちらも新霊宝館で見ることができます。

半跏思惟という台に片足を降ろした状態で座り、片手を頬に当て考え込むようなスタイルをとっています。弥勒菩薩はあの世で未来に人々をどのように救済するか思考する姿であり、未来に次の仏陀「弥勒如来」として降臨するといわれている仏様です。

このタイプの弥勒菩薩は6世紀~7世紀の朝鮮半島で流行っていたスタイルであり、日本では飛鳥時代~白鳳時代によく見られますが、奈良時代以降はほとんど見られなくなります。

この2体の弥勒菩薩を紹介していきますね。

★木造・宝冠弥勒菩薩

弥勒菩薩(宝冠)

日本一美しいと言われている仏像はこちらの弥勒菩薩になります。国宝指定第一号になっており、新霊宝館の中央に安置されています。像高は123.3cmと等身大になっています。

こちらの弥勒菩薩は、宝冠を冠っているようにみえることからもう一体の弥勒菩薩と区別して宝冠弥勒と呼ばれています。

飛鳥時代の仏像で、中宮寺の弥勒菩薩と同様にアルカイックスマイルと呼ばれる微笑をたたえており、この時代の仏像の特徴を備えています。とはいえ、同時代に多い止利仏師の作品とは違い柔らかな雰囲気の作風をしていますね。

写真を見てわかる通り、赤みを帯びた色合いをしていますね。これは材木にアカマツを使用しているためです。アカマツは飛鳥時代には仏像に使用されることは無かった為、朝鮮半島伝来ではないかと言われてきました。しかし、背板や腰から下がる綬帯(じゅたい)は楠製であることがわかり、国産の可能性もでてきているようです。

奈良時代成立の歴史書「日本書紀」にもこの仏像のことらしき記述があります。

日本書紀には、広隆寺は603年に聖徳太子に譲られた仏像を祀るために作られた寺でありますが、広隆寺資材交替実録帳に2体の弥勒菩薩像の記述があり、その片方に聖徳太子本願御形とあるよう、そちらがこの宝冠弥勒菩薩と考えられています。

日本書紀には623年に新羅から伝来した仏像もあるとも書かれています。この仏像が渡来の仏像である場合は新羅伝来の仏像の可能性も考えられますね。

★木造・宝髻(ほうけい)弥勒菩薩

弥勒菩薩(宝髻)

こちらは宝髻(ほうけい)弥勒と呼ばれる弥勒菩薩像で、こちらも国宝指定されています。泣いてるように見える様子から泣き弥勒とも呼ばれています。像高90cmと宝冠弥勒よりも小さめ。

広隆寺資材交替実録帳では薬師堂の厨子に弥勒菩薩像が入っていた記述があり、これがその像なのではないかと言われています。非常に古い時代のものなのに金箔が残っているのは厨子で保管されていたためかもしれませんね。

宝冠弥勒と同様に新霊宝館で見られ、宝冠弥勒の隣に安置されていますが、こちらの弥勒菩薩は宝冠弥勒に比べ有名ではなく、あまり知られてはいません。

宝髻弥勒は飛鳥時代にはよく使用されていた楠製であり、また、楠は朝鮮半島には自生しないため、7世紀~8世紀の国産だといわれています。国産ではこちらの綬帯は珍しく牛革が使用されています。

●新霊宝館

広隆寺霊宝館

新霊宝館は、弥勒菩薩半跏思惟像が安置されている建物です。広隆寺はこの建物があるエリアのみが有料となっており、700円で入ることができます。

ちなみにここができる前に使用されていた旧霊宝館も西側に現存していますが、閉鎖されており入ることはできません。

新霊宝館には弥勒菩薩半跏像だけではなく、広隆寺が所有する多数の仏像が展示されています。他の寺院の展示館だったらショーケースに入れて展示したりしていることも多いのですが、ここでは生身に展示しています。

ただ、館内は非常に暗くかなり細部が見えにくい状態ですね。もうちょっと明るくしてほしいですね。

警備は監視員さんが2名おりかなり厳重です。貴重な仏像を展示している場所なので警備を厳重にしないといけないのはしかたないことですが、ときどき咳き込んだりするので威圧的で落ち着かない感じです。

長椅子が置いてあり坐って鑑賞できるのでその部分ではよかったです。

ここでは新霊宝館で弥勒菩薩半跏思惟像以外の一押しの仏像達を軽く紹介したいと思います。

★木造・不空羅索観音菩薩立像

不空羅索観音菩薩

818年の火災以前からあった7体の仏像の一つだといわれています。新霊宝館ができるまでは、講堂の外陣に安置されていました。像高313cmの巨像で国宝。

奈良時代~平安時代初期の作品であり、広隆寺の仏像で弥勒菩薩半跏思惟像以外ではもっとも古い部類にあたります。

★聖徳太子16歳像

聖徳太子16歳像

★秦河勝像・夫人像

秦河勝

秦河勝は聖徳太子の参謀であり、広隆寺を創建した人物ですが、これはその夫妻の尊像です。

★十二神将像

広隆寺/十二神将

1064年作で国宝。平安時代の仏師「長勢」の作品を含みます。長勢は、平安時代後期を代表する仏師「定朝」の弟子にあたります。

●広隆寺の伽藍

広隆寺の境内は霊宝館があるエリア以外は無料で入れます。しかし、ほとんどの建物は入口が閉まっており立ち入り禁止。扉窓の金網から中をのぞける程度ですが、照明などなく真っ暗でほとんど中がわかりません。

基本的には外観を楽しむだけとなります。

★楼門

広隆寺

広隆寺の正門で、境内に入る際は一番最初に目にする建物です。門の両脇には仁王像が安置されています。

1702年の再建。

★上宮王院太子殿

上宮王院太子殿

本尊に聖徳太子像を祀るお堂で、このお堂が広隆寺では本堂の扱いとなっています。1730年再建の宮殿風の建築。

本尊の聖徳太子像は秘仏であり、毎年11月22日のみ特別公開されています。この聖徳太子像の着衣は黄櫨染御袍という天皇が重要儀式で着用する衣服で、天皇より衣服を賜り着せる習わしが平安時代から現在まで続いているそうです。

お堂の縁側は入ることが可能です。壁には明治以降の奉記録が並んでいます。

★講堂

広隆寺講堂

1165年の再建で広隆寺内で最古の建物です。

阿弥陀如来坐像,地蔵菩薩坐像,虚空菩薩坐像を祀ります。

■木造・阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来坐像

講堂の本尊で国宝。像高261cm。記録から840年ごろの作とされています。

★太秦殿

太秦殿     広隆寺/太秦殿案内

太秦明神,漢織女,呉秦女を祀っています。

秦氏を祀っているお堂で、広隆寺が秦氏の氏寺であることを感じさせます。

お堂の前に立てられている案内(写真2枚目)には秦氏が百済からかつて渡来したこと。その子孫の秦河勝の功績をたたえ、神格化されたことが書かれています。

●広隆寺へのアクセスは?

アクセスは京福電車「太秦駅」下車すぐ,京都市バス「広隆寺前」下車2分

拝観料は境内無料、霊宝殿のみ700円かかります。

拝観時間は9:00~17:00(12月~2月は16:30終了)

●終わりに

広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は全国的に有名な仏像ですが、太秦という場所が行きにくいせいか、人は少なく落ち着いた環境で拝観することができると思います。

京都観光で時間があったらぜひ訪れる価値はありでお勧めですよ。

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コメント

  1. 堀金 正典 より:

    弥勒菩薩様にお逢いいたしたく詣でました。過去に東京等に御出座しの折にお会いできましたが、国宝第一号と知りまして感激いたしました。また、度重なる災禍にも現在も護持されて居られることは仏像が如何に強い信仰に守られて居ると思われます。
    しかし、残念なことに、お授け頂いた『御朱印』がスタンプのハンコウでした。この想いが・・・・残念です。唯一のご縁と思いましたものを・・・

  2. reoreoman より:

    堀金さまコメントありがとうございます。
    やはり、広隆寺さんは御朱印ハンコなんですね。残念でしたね。ぜひ墨書きでほしいものですね。

    • 堀金 正典 より:

      reoreoman様返コメント有り難うございました。
      ‟新霊宝殿”で弥勒菩薩様を詣で、ハンコ・スタンプでがっかりでした。しかし、最近は墨書きせず紙を貰えるところもあります。これもがかりです。